官兵衛と福岡城
第10回
官兵衛と『黒田家譜』
黒田官兵衛は、慶長9(1604)年3月20日に亡くなりましたが、彼や息子・長政の事績を後世に残す大きな役割を果たしたのは、福岡藩3代藩主・光之です。光之は寛文11(1671)年10月、黒田家の正史である「黒田家譜」の編さんを藩の儒学者・貝原益軒に命じました。益軒は翌12年に原稿を書き始め、延宝6(1678)年に書き終えて光之に献上しています。以後、益軒の希望や光之の指示によって改訂が二度行われ、宝永元(1704)年に完成しました。
光之は編さんに当たって、益軒へ黒田家に伝来した古文書などを閲覧させています。官兵衛や長政の事績を正しく後世に伝えるため、記述内容に正確を期したものと思われます。現在に生きる私たちは、黒田家伝来の古文書・古記録や益軒が編さんした『黒田家譜』などを通して、官兵衛の生涯について知ることができるのです。
(市博物館学芸課 高山英朗)