空想のふくおか 【第2回】西に運河があった? 昭和24(1949)年の空想

この連載では、かつて構想された、さまざまな都市計画などを紹介していきます。

 

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昭和24(1949)年、福岡の未来を語る一冊の本が刊行されました。

 

タイトルは、『大福岡市の構想に就(つ)いて』。

 

著者は、当時運輸省博多港工事事務所長を務めていた太田尾廣治。

発行者は福岡商工会議所です。

太田尾は、昭和22年に所長として着任し福岡の港湾整備に関わった経験から、海に開かれた市の強みを生かすべく本書を執筆しました。

 

この本には、図面がいくつか収録されています。

その中から、博多湾全体を展望した「大福岡市開発計画図」を見てみましょう。

 

大福岡 市開発計画図の画像。当時構想されていた「糸島運河」が描かれている。

 

この図面は、昭和23年4月に博多港工事事務所が作成したもので、当時は市域ではなかった志賀島や海の中道から、糸島半島の西側までを取り込む構想だったようです。

 

この中で、特に注目すべきは「糸島運河」です。

今津湾から加布里まで、瑞梅寺川、雷山川、泉川を東西につなぐ運河を造り、周辺を「糸島工場地帯」として発展させるという構想です。

 

当時、今津は外国資本や技術を導入する自由貿易港としての役割を期待されていました。

さらに、今津湾東側の能古島(のこのしま)も運河地帯の一部に含まれていました。

 

能古島は景勝地であり、歓楽地として外国人旅客を受け入れる窓口となっています。

その能古島へは、姪浜から大きな吊(つ)り橋を建設。

今津と博多港をつなぐ航路も確保しています。

 

太田尾は、河川の利用計画こそが港湾開発の要であるとしています。

糸島運河の構想は、それを具現化しようとしたものだったと言えるでしょう。

 

 

(福岡市博物館 市史編さん室 鮓本高志)

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