官兵衛と福岡城
第11回
祭られた官兵衛
明和5(1768)年8月、福岡藩6代藩主・黒田継高(つぐたか)は、福岡城の天守台下に祀堂(しどう)を建て、初代藩主・黒田長政を聖照(せいしょう)権現(ごんげん)として祭りました。安永2(1773)年4月、この祀堂に官兵衛も水鏡(すいきょう)権現として併せて祭られました。
明治維新後の明治4(1871)年8月、廃藩置県によって黒田家は東京に移り住むことになりましたが、この祀堂は市民から移転の要望が出されたため、小烏馬場の吉祥院(きっしょういん)跡(現在の警固神社付近)に移され、官兵衛(龍光院殿)と長政(興雲院殿)の院号から一字ずつ取り、光雲神社と名が改められました。その後、光雲神社は明治42年4月に西公園へ移され、現在に至ります。
早いもので今年も間もなく桜の開花の季節を迎えます。桜の名所として知られる西公園を訪れ、花を愛でるとともに、今も福岡を見守る官兵衛に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
(市博物館学芸課 高山英朗)