歴史 歩・歩・歩 さんぽ 細川幽斎(ほそかわゆうさい)の歌碑

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多々良川河畔に

「いにしへは ここに鋳物師(いもじ)の 跡とめて 今もふみみる たたら潟かな」

と刻まれた細川幽斎の歌碑があります。

 

細川幽斎の歌碑の写真

 

細川幽斎は、安土桃山時代の武将・歌人で、本名は細川藤孝といいます。

 

明智光秀の盟友でしたが、光秀が本能寺の変を起こした天正10(1582)年に出家して幽斎と名乗り、彼とは距離を置きました。

 

天正15(1587)年、幽斎は九州に遠征した豊臣秀吉の陣中見舞いに訪れました。

その時の様子を記した紀行文『九州道の記』によると、この歌は、幽斎が香椎の浦から帰る途中、多々良浜を歩いた際に詠まれたもののようです。

 

「昔ここに住んでいたという鋳物師の跡を訪ねて、今もたたらを踏むように歩いてみる多々良浜だなぁ」という意味で、「鋳」に「居」を掛け、「ふみ」は「踏鞴(たたら)(金属の精錬に必要な空気を送る大型の送風機)を踏む」と「浜を踏み(歩く)」の掛詞(かけことば)になっています。

 

かつて多々良川河口付近は広大な干潟で、大陸から渡来した鋳物工が住み着き、川砂から採れた砂鉄で鋳物を造っていました。

 

幽斎が歌を詠んでから約400年たった現在、この地は「ふれ愛ロード」として整備され、多くの人が「今もふみみる」場所となっています。

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