空想のふくおか 【第5回】博多市への夢 明治~昭和時代

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この連載では、かつて構想された、さまざまな都市計画などを紹介していきます。

 

福岡市か、博多市か─。

明治23(1890)年2月6日、福岡市会(当時の福岡市議会)で市名改称決議案の採決が行われ、僅差で福岡市に決まった話はご存じの人も多いと思います。

この出来事は、今なお「1票差で敗れた物語」として語り継がれています。

 

しかし、「博多市」実現へ向けた運動がその後も続けられていたことは、あまり知られていないかもしれません。

 

昭和25(1950)年11月4日、元・福岡市長の河内卯兵衛ほか5人は、福岡市長を訪問し、福岡市を博多市に改称するよう建議しました。

 

河内らは福岡市議会議長、商工会議所会頭など、地元政財界の要人たちにも同様に建議を渡し、市名改称運動を展開させます。

 

昭和25年に市長に渡されたと考えられる建議書の副本の写真

 

12月には博多の各「流」の代表者たちが、博多市実現期成会の会長に河内を推薦し、全面的に応援することを決めています。

 

河内は博多商人の出身で、大正5(1916)年には「博多改称論」を新聞に発表するなど、改称運動の旗振り役でした。

 

年が明けて河内は体調を崩しますが、建議者の一人である元・福岡市会議員の竹若啓次郎が、たびたび河内のもとを訪ねて状況を報告していることが、河内の日記から分かります。

 

3月には河内本人が、商工会議所有志の求めに応じ、市名改称について懇談しています。

河内らは、福岡市議会に市名改称の請願を行い、受理されました。

しかし、この請願は議会に取り上げられることなく、明治23年のような盛り上がりはありませんでした。

 

その後、河内は昭和35年にも新聞のインタビューなどで「博多市」への思いを語っていましたが、昭和38年に87歳で亡くなりました。

 

行政区画として「博多」の名が復活するのは、福岡市が政令市となって博多区が誕生した、昭和47年のことでした。

 

福岡市博物館
市史編さん室
鮓本高志

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