官兵衛と福岡城
第4回「官兵衛の福岡での住まい」
福岡城の築城は、慶長6(1601)年に始まりました。築城の間、黒田官兵衛はどこに住んでいたのでしょうか。黒田家の歴史書である「黒田家譜(くろだかふ)」などの記述によれば、太宰府天満宮のそばに庵(いおり)を建てて、そこに住んでいたことが分かります。
太宰府天満宮に祭られている菅原道真(すがわらのみちざね)は、学問の神様として知られ、和歌や連歌の神様としても信仰されていました。官兵衛自身も和歌や連歌をたしなんでおり、太宰府天満宮は官兵衛にとって格好の場所だったのです。
本丸など福岡城の主要部分が完成すると、官兵衛も城内に移り住みました。福岡城下(しも)の橋御門(はしごもん)の南側にある小高い丘が、官兵衛の屋敷があった場所で、江戸時代は御鷹屋敷(おたかやしき)(御高屋敷)と呼ばれていました。現在は舞鶴公園内の牡丹(ぼたん)・芍薬(しゃくやく)園として市民に親しまれています。
(市博物館学芸課 高山英朗)