官兵衛と福岡城
第6回「官兵衛と茶の湯」
黒田官兵衛は、和歌や連歌だけでなく茶の湯もたしなみ、千利休(せんのりきゅう)や津田宗及(つだそうぎゅう)ら著名な茶人とも親交を持っていました。
戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した博多の豪商で、茶人として知られる神屋宗湛(かみやそうたん)が記した「宗湛日記」からは、筑前入国後、官兵衛が福岡城の大堀の西岸、鳥飼村に設けた二畳敷の御数寄屋(茶室)で、宗湛や息子の長政らと茶の湯を楽しんでいたことが分かります。
また、官兵衛は慶長四(1599)年正月に千利休の茶の湯の秘伝を「御茶堂之記(ござどうのき)」(如水茶湯覚書(じょすいちゃのゆおぼえがき)、如水壁書(じょすいかべがき)とも)としてまとめています。黒田家の歴史書である「黒田家譜(くろだかふ)」によれば、官兵衛の茶堂の水屋に貼られていたもので「茶はゆっくりと滞りのないようにひくこと」など官兵衛の茶道観をうかがい知ることのできる資料です。
(市博物館学芸課 高山英朗)